蕎麦屋訪問記

東十条 「一東菴」手碾き蕎麦が語る鮮烈な香り

都心からわずか数駅の東十条。京浜東北線のドアが開いた瞬間、ふっと空気が変わったような気がした。足取りも自然とゆっくりになり、初めて歩く静かな住宅街の小道を、陽だまりに誘われるように進んでいく。

しばらくすると、通りの一角に佇む、まるで小さな森のような一角。低い植栽の間から顔を出す木戸と、艶やかな朱の暖簾。控えめながらも、その気配はただならぬ存在感を放っている。ここが「一東菴」。知る人ぞ知る名店として、蕎麦好きたちの間でささやかれてきた一軒だ。

扉を開けると、外の喧騒がすっと遠のき、木の香りと共に、静謐な時間が流れ始める。明るすぎず、暗すぎず、柔らかな光の中に並ぶ木の机。ひとつひとつの器や箸置きにも、選ばれた美意識が宿っている。

まずは、日本酒をと四季桜を半合注文して、ほっと一息。

日本酒と供されたのは、小さな器に盛られた「ちりめんじゃこ」。
カリッと乾いた食感と、大根のみずみずしい味わい。そこに醤油がほんの少しだけ差してあり、思わず盃が欲しくなるような味わい。

お酒のアテも充実していてどれも美味しそうだが、前回食べた「わさび二点盛」を注文。「◯◯盛り合わせ」みたいのがあるとついつい頼みたくなってしまう。

そして、注文を終えてからふと店内に目をやると壁には限定メニューが…。

ガーン、やってしまった。

そうだ、このことをすっかり忘れていた。「いちごの白和え」とか食べたかったが、追加注文は時間もかかりそうだし、予定もあるので今回は見送る。

そして登場したのは、なんとも美しい器に盛られた「わさび二点盛」。味噌に練り込んだわさびと海苔の佃煮に練り込んだわさびはどちらも美味しい。

それぞれが濃厚で、しかしどこか透明感のある味。味噌の甘みと、海苔の深みが舌の上で広がり、酒を呼ぶ肴としてこの上ない。

日本酒も空になって、「そば湯割り」を追加で注文。白く濁ったそば焼酎の湯割りは、口当たりはどっしりと濃厚で、体の芯から温まる感覚。蕎麦の風味が本当にきわだっている。

いよいよ、蕎麦のご注文ということで、いつもの「三種せいろ」ではなく、今回は「手碾きせいろ」を頼んだ。

ほどなくして現れたのは、本日の主役。「手碾きせいろ」。今回は長崎県の五島在来とのこと。

品書きにも「限定そば」と記されていたそれは、石臼で丁寧に碾かれた玄蕎麦を打った、まさに特別な一枚。ざるの上に盛られた蕎麦は、灰色を帯びた美しい細切りで、見るからに力強さを感じる。

まずはそのまま、ひと口。…驚いた。ふわっと広がる野趣ある香り。ねっちりした粗挽きで歯にまとわりつくような食感とともに、口の中に蕎麦の旨味がじんわりと染み渡っていく。まさに「噛んで味わう蕎麦」。つゆに軽く浸して啜れば、さらにその輪郭が際立つ。

あっという間に手繰り終えた蕎麦猪口に、今度は濃厚な蕎麦湯が注がれる。とろりと白濁した蕎麦湯は、まるでポタージュのよう。残ったつゆと合わせていただけば、旨味が何重にも重なり、最後の一滴まで惜しむように味わう。

そして、今回はこれが食べたくて来たといっても過言ではない「そばがきクリームぜんざい」。
前回見つけた時にそばがきを使ったスイーツもあるんだ、という感じで気になっていた。

熱々のできたてそばがきに、バニラアイスとつぶあん。やさしい甘さと、蕎麦の素朴な香りが残る独特の口当たり。
「温かい」と「冷たい」を今後に感じて手が止まらない。そばがきを甘味にしても十分に美味しい。

一皿ひと皿、ひと口ごとに感じる、手仕事の細やかさと、料理への誠実な眼差し。決して奇をてらわず、ただただ蕎麦と真摯に向き合う姿勢が、店の空気からも伝わってくる。

帰り道、まだ口の中に蕎麦の香りが残っていることに気づく。思わず鼻をすっと抜けるように息を吸って、その余韻を噛みしめた。

今回も、ごちそうさまでした。

「一東菴」
東京都北区東十条2-16-10
03-6903-3833
火・水
11:45 – 14:30
L.O. 14:00
木・金・土
11:45 – 14:30
L.O. 14:00
18:00 – 21:00
L.O. 20:00
祝日
12:00 – 15:30
L.O. 14:30
日・月
定休日
禁煙

 

【特撰ひやむぎ きわだち】
東京都墨田区太平1−22−1 ソラナ錦糸町102
(錦糸町駅北口より徒歩8分、東京スカイツリーより徒歩14分)
12:00~15:00 18:30~21:00 (L.O.30分前 / 木・金はランチのみ)
火・水曜日定休
※席がハイカウンター6席のみのため、大人数や小さなお子様はご案内できないことがございます。
※ご予約はネット予約のみで、記載されている指定の時間及びコースのみのご予約となります。

お店の予約オンラインで購入