ひやむぎの話

江戸時代まであったひやむぎ屋はなぜ絶滅したのか、ひやむぎ専門店として考えてみました

 

かつて「切麦や」と呼ばれるひやむぎ専門店が京都や秋田にあったことが文献に記されており、切麦に関しては大分県でも食べられていたようです。おそらく全国に同じような「切麦や」が存在していたはずですが、それらは室町〜江戸時代頃に姿を消しました。

「ひやむぎ」という商品は残っているにも関わらず、「切麦や」というひやむぎ専門店がなぜ無くなってしまったのか。

当時の「切麦や」が無くなった理由は複数あると思っていて、今回はその理由について現役のひやむぎ専門店として解説していきたいと思います。

そうめんとの違いが分かりづらい

まず最初に考えられることが「ひやむぎはそうめんと比較されることが多い」という点です。特にそうめんとの違いが、一般の人にはよく分からないという問題があります。

実際、お客様からのかなりの頻度で「そうめんとひやむぎの違いってなんですか?」と質問されます。そうめんとひやむぎの違いについて毎回説明していますが、店頭に並んだ商品を見てその違いが分かる人はほとんどいません。

違いがよく分からない、もしくは違いはあっても微々たる商品の場合、一般の消費者が手に取るのは認知度の高い方です。

そうめんは三輪そうめん、揖保乃糸、半田そうめんなど各地に特産品があり、乾麺の中でも認知度やブランド力は随一です。一方で、ひやむぎはそういった知名度のあるブランドが全くなく、そもそも「ひやむぎ」の存在を知らない人も多くいます。

知名度という点に関して、そうめんというブランド力があり、見た目の違いが分かりづらい麺類と比較されてしまうと、ひやむぎの商品力は相対的に低くなってしまいます。

専門店に限らず、消費者は認知度の低い商品を好んで手に取ることはありません。マーケティング用語にAIDMA(アイドマ)という言葉があり、消費者は「認知→興味→欲求→記憶→行動」の順番で購買行動をとるとされていますが、ひやむぎはこの購買行動の中の一番最初の「認知」が低いため、商品を買うという「行動」まで進まないのです。

事例を挙げると、最近増えている唐揚げ専門店が良い例でしょう。唐揚げは馴染みのある商品で、なおかつ普段から良く食べられるので消費者にとって「認知」や「興味」の度合いが高いです。このような商材は何もしなくても一定の需要があり、その上でスーパーや自宅で食べるものより美味しいのですから専門店として成り立ちやすいことになります。

通年で販売しにくい商品

2つ目の理由として、ひやむぎは「通年で販売しにくい商品である」という点が挙げられます。

おそらくひやむぎを食べたことのある人の多くが、夏の暑い時期にひやむぎを食べていると思います。冬場に食べる人もいるかもしれませんが本当にごく少数でしょう。

コンビニ大手のセブン-イレブンでもそうめんは通年で販売されていますが、ひやむぎは9月中旬に棚から無くなるようでした。

店舗経営において、限られた時期しか集客できないというのは非常にリスクが高いです。特に飲食店では、閑散期があることだけでなく、一時期に客が集中するというのもあまり好ましくありません。来店客の増加によりオペレーションが混乱したり、席数に限界があるため売上の取りこぼしが発生したりするからです。

通年でほどよく集客できる商材であればあるほど店舗ビジネスは安定的に経営できます。先程事例として挙げた唐揚げ専門店に置き換えると、唐揚げという商材は夏でも冬でも売れる商品なので非常に安定した店舗ビジネスということになります。

麺にするのが蕎麦やうどんより面倒

最後に、3つ目の理由として「麺にするのが蕎麦やうどんより面倒」ということが挙げられます。個人的にはこれがひやむぎ屋が無くなった一番の要因ではないかと考えています。

まず、ひやむぎは以下の四つの工程を経て完成します。

【ひやむぎの作り方】
①小麦粉と食塩水を捏ねて大きな玉にする
②熟成と練りを数回繰り返す
③玉を延ばして薄く平らな生地にする
④生地を重ねて切る

この中で最も作業性の悪いのが③玉を延して薄く平らな生地にする、という工程です。小麦粉で作った玉はグルテンの力によって反発力(ゴムのように元に戻ろうとする性質)があるため、ひやむぎの細さまで平たくするにはかなりの力が必要になります。

この点、蕎麦の場合はグルテンがないため比較的簡単に薄く平らな生地を作ることができます。うどんはひやむぎと同様にグルテンはあっても、ひやむぎほど細くしなくて良い(=薄くしなくて良い)のでそこまで力が入りません。

江戸時代は現在のように製麺機がなく、全て手打ちであることを考えると「毎日、大量のひやむぎを作ること」は非常に作業性が悪く、面倒であると言えるのです。

廃業したひやむぎ屋はその後どうなったか

以上の理由からひやむぎ屋は徐々にその数を減らし、いつのまにか無くなっていったのでしょう。ただ、ここで一つ疑問が残ります。ひやむぎ屋が無くなったとして、ひやむぎ屋を営んでいた人たちはその後どうしたのでしょうか。

これは想像でしかありませんが、当時のひやむぎ屋はどこかのタイミングで蕎麦屋やうどん屋に商売替えしたのではないかと考えています。ひやむぎ屋から蕎麦屋やうどん屋に変えても商売道具や必要な技術はほとんど変わらないのでのれんを変えるだけで簡単に商売替えができたはずです。

しかも、蕎麦やうどんはひやむぎよりも手間が少なく、なおかつ通年で売れる商品です。ひやむぎ屋としては「季節に左右されて面倒なひやむぎを作るよりも、一年中売れる蕎麦やうどんの方が商売しやすい」と思うはずです。

更に想像を巡らせると、今でも古い町蕎麦屋で夏場にひやむぎが販売されているのは、過去にひやむぎ屋だったことの名残かもしれません。元々ひやむぎ屋だった店が蕎麦屋になることで生き残り、その伝統が今でも残っていると考えると少しロマンを感じます。

 

ということで、今回は江戸時代にひやむぎ屋が無くなった理由を、現役のひやむぎ専門店の立場から考察してみました。以前から考えていたことを改めて文字にしてみましたが、今回の考察は江戸時代だけでなく現在でもほぼ同じことが言えると思います。それは、「ひやむぎ専門店という商売は相当ハードルが高い」ということです。

ただ、江戸時代と現代で違うのは時代とともに食の多様性が広がりをみせていることでしょう。数年前から都内でそうめん専門店やそうめん酒場が見られるようになり、大きな商業施設にテナントとして入っているお店もあります。そうめんがこれだけ受け入れられているのであれば、ひやむぎも同じように広がっていく可能性はあると考えています。

ありがたいことに来店するお客様から「私は昔からひやむぎ派です!」といった声や「生のひやむぎを食べて概念が変わりました!」という感想をいただいくこともあり、ひやむぎもまだまだやれることはたくさんあるなと感じています。

当店では市販のひやむぎにはない、全粒粉入りの生ひやむぎを店内にて自家製麺しております。東京スカイツリーなどにお越しの際は少し足を伸ばしていただき、当店でしかに味わえない唯一無二のひやむぎを食べてみてください。皆様のご来店を心よりお待ちしております。

【特撰ひやむぎ きわだち】
東京都墨田区太平1−22−1 ソラナ錦糸町102
(錦糸町駅北口より徒歩8分、東京スカイツリーより徒歩14分)
12:00~15:00 18:30~22:00 (L.O.30分前)
火・水曜日定休
070-8385-6913

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